< 茶話 >
2001年9月12日

<茶話その11>を書いてから、すでに1年が経とうとしています。
自分の不精さがなんともおはずかしいかぎりです。
ふらりとどこかへ消えてしまった居候のために、
ずっと<いおり>を残しておいてくださった
家主のてらぴかさんと管理人のdeepseaさんには
お詫びの言葉もありません。
ただただ感謝申し上げます。

この1年、書きたいことは折々にたくさんあったのですが、
現世の雑事に追われて<いおり>をなかなか開けられずにいるうち、
そのままズルズルとサボってしまいました。
だめですね〜。
サボってばかりの庵主なので、<茶室 三枝庵>ではなく、
<茶房・ル・ミエダ>とでも名前を変えたほうがよさそうです。
そんな不肖不精者の駄文ですが、久しぶりにちょっと書いてみましたので、
もしよろしければ<いおり>にお上がりいただき、
先日ベトナムで買ってきた蓮茶(蓮の花芯を摘んだお茶)
など飲みながらお読みください。
長く閉め切っていたもので、カビくさくってスイマセン。
今、沈香など焚きますので。

<茶話その12 四季のある国>

日本の気候風土のよさを言うときに、
「日本は四季のある美しい国」
というような言い方がよくされます。
確かに日本は春夏秋冬の四つの季節がはっきり分かれていて、
それぞれの美しさがあり、その季節感が日本人の生活サイクルに
重要な役割も果たしてきました。
そして僕自身も、そのことを大事に思い、
『空の名前』のような歳時記的な発想の本をつくってきましたし、
このコラムのモチーフにも取り上げてきました。
しかし実を言うと、このところ僕は、
この「日本は四季のある美しい国」という表現に対して、
かなり懐疑的に接しています。
『空の名前』の愛読者カードには、
「美しい四季のある日本に生まれてよかったと思いました」とか
「こんなにも多くの季節の言葉を生み出した日本人を誇らしく思います」
といった感想をいただくことがあります。
もちろん本から何を感じるかは読者の自由ですし、
こういった感想をいただくことじたいが、とても光栄で嬉しいことなのですが、
僕個人としては、「う〜む、それで?」と問いたくなるのです。

僕が『空の名前』という本を企画したもっとも大きな理由は、
「日本は美しい、日本語は素晴らしい」ということよりもむしろ、
「もっとも身近にある空や季節といった自然への鋭敏な感受性を取り戻したい」
ということでした。(本を作る僕自身も含めて)
僕は何の縁か日本という国(国というより、
むしろこの星の一地方といった感覚ですが)に住んでおり、
日本語という言語を使っている人間なので、
ああいう、日本の気象をテーマに、日本の美しい言葉を絡めた本を、
僕と同じ日本に住む人たちに向けて作ったわけです。
僕がもしサハラを遊牧するベルベル人ならば、
砂漠の持つ繊細な表情をテーマにしただろうし、
熱帯のメコンデルタの住人ならば、
雨季と乾季の違いと絶えることのない水の恵みのことに触れたでしょう。
イヌイットなら・・・。

「身近な自然への感受性」は、
住む地域や文化などに関係なく、
自然と密に接し、それを暮らしに取り入れていれば、
自ずと鋭敏になるものです。
寒帯や北極圏に行けば、
雪氷に関する言葉や表現は豊富になりますし、
熱帯モンスーン地域に行けば、
人々の雨に対する予知能力の高さに驚かされます。
それを「日本は美しい、日本語は素晴らしい」
といったところで終わってしまうと、
ちょっと言葉が行き過ぎかもしれませんが、
単なるナショナリズムのように感じてしまい、
僕のココロのセンサーが小さなアラーム音を鳴らすのです。
『空の名前』以降、日本の自然の写真と、
美しい日本語を組み合わせた、
『空の名前』フォロワー(えらそうに書いて恐縮です)的な本が
たくさん出ています。
そのほとんどが日本の自然と文化を愛した、
キチンとした心がけの本だとは思うのですが、
僕個人としては一方で、昨今の世相と相まって、
とても閉じた空気も感じてしまうのです。
単なる僕のひがみ、あるいは自作への自惚れなのでしょうか?
それならいいのですが・・・。

また「日本は四季のある美しい国」と簡単に言いますが、
実際には中国だって、ヨーロッパだって、北米だって、
南米だって、オセアニアだって、アフリカさえも、
温帯に属する地域はみな四季がありますし、
それぞれの地域がそれぞれの四季の移ろいの美しさを持っています。
そして気象学的に言えば、それら温帯地域の四季にくらべると、
日本の四季のあり方はもっとフラジャイルというか、
危ういバランスの上にあるらしいのです。
昔、学校で習った気候区分で言えば、
日本は「温帯」に属していますが、
これは便宜上そう表現しているだけであって、
じつは中国やヨーロッパの大陸的な「温帯」とは様相が違います。
つまり厳密には日本は、夏は「亜熱帯気候」に属し、
冬は「亜寒帯気候」に属している地域なのです。
そしてその切り換わりの期間を「春」「秋」と呼んでいるわけです。
そういう特殊な四季だからこそ素晴らしいとも言えるのですが、
ちょっとでもそのバランスが崩れると、春や秋は短くなったり、
消えてしまいさえしかねません。
僕が「日本は四季のある美しい国」という言葉に懐疑的である、
もう一つの理由がここにあります。
つまり僕は、どうも日本の四季はすでに
危うくなりつつあるのではないか?と思っているのです。
前段で『空の名前』の企画理由をくどくど書きましたが、
この危機感こそが、僕にあのような企画理由を書かせた要因なのです。

この十何年か、毎年のように「異常気象」と言われてきました。
しかし毎年のように「異常」ならば、むしろそちらが「正常」というか、
「恒常性のある変異傾向」というべきです。
身近な自然に対する鋭敏な感受性を取り戻した人ならば、
誰しもがこの日本の四季の異変に気づき、危機感を覚えるはずです。
皆さんは、昔に較べて夏が長くなったと思いませんか?
(鋭敏でなくても、ほとんどの日本人が、
夏が年々暑くなっていってることは感じてますよね。)
僕が子どもの頃に感じていた季節感からすると、
春と秋はそれぞれ1ヵ月ぐらい短くなったような気がしています。
夏が長くなったのは、つまりは夏の平均気温が2〜3℃上昇した結果なのですが、
一口に2〜3℃といっても、この2〜3℃という気温差はかなり大きなものです。

話は少々それますが、今、京都は「町家ブーム」というか、
昔ながらの古い日本家屋のよさを見直そうということで、
アーティストや文化人たちが、旧家をアトリエにしたり、
カフェにしたり、居住したりしています。
僕は、伝統の価値を見直すことや古いものを
大切にすることに異存はありませんが、
江戸時代や明治時代に建てられた町家の構造が、
果たして今の日本の気候に適するのか?
ということについては、少々疑問です。
もちろんこれは、いろんな文明の利器が生まれ、
生活が便利になったから、といった文化論の話ではありません。
あくまでも当時と今の気候の変化という、
自然環境の話として、です。念のため。
気温が2〜3℃(江戸時代と較べたらもっと大きいかも)変われば、
建築の構造も変化してあたりまえです。
江戸時代の気候が、もしも今の京都と同じだったら、
今よりも自然と共生する術に長けていた江戸時代の職人さんは、
きっと、もっと別の構造の町家を
編み出したのではないかと、僕は思うのです。
この鋭敏な感受性とそれを駆使した臨機応変な創意工夫こそ、
先人の知恵の本質ではないでしょうか?
そんなわけで、そのへんの視点を無視して、ただ「町家のよさ」や
「日本の伝統家屋のよさ」を煽る雑誌や本には、
これまた流行的ナショナリズムを感じ、
ココロのアラームが鳴る僕なのです。
スイマセン、たぶんただの「へそ曲がり」ですね。

どうやら今年も季節は無事に秋を迎えつつあるようです。
「恒常的な異常気象」「地球温暖化」といった
巨大な問題にどう対処するかなんて、
僕などにはとうてい答えが見つかりませんが、
少なくとも、「日本は四季のある美しい国」という
常套句は鵜呑みにせずに、
どんどん短くなり、はかなくなりつつあるこの国の秋を、
自分の五感でしっかり感じて、ココロに刻んでいこうと思っています。

ちょっと長くなりましたが、今日はこんなところでお開きです。
どうもお粗末様でした。
それではまたご縁があれば・・・。

2001年9月11日
三枝克之

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