Today's Terapika寺門孝之です。

Back Number 20030511

 

 寺門さま 今日はお会いできてうれしかったです。 ありがとうございました。 あれから大阪に仕事に出かけたのですが 闇の妹と切手(笑)がすごく気になって・・・ 切手のことなのですが すでにスタンプを押したものでもよろしければ インドの切手と 古い記念切手が少しありますので もし御迷惑でなければ・・・

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 「闇の妹」展最終日にいらした友人のライターのOさんからその深夜、上のようなメールをいただき、さっそく昨夕アトリエへ切手を持ってきてくださいました。

 それはインドから送られてきた荷物に貼られていたもので、荷物を包む布がまだ着いていてなまめかしい。スタンプの向こうの鳥や山猫(?)や木の図柄が、どれも見たことの無い遠いインドの気配へと僕の想いを誘ってくれます。

 Oさんの他にも何人もの方が、会期中、色々とめずらしい切手を持ってきてくれて僕にくださいました。恐縮です。ありがとうございました。

 今回の展覧会で最も多く訊ねられたのは「どうして切手が貼ってあるのか?」という質問です。僕が思う以上に、絵に切手が貼ってあることは、絵を見ていただいた方々にインパクトを与えたようで、僕も訊かれる度に一生懸命考えて応えましたが、結局のところ、未だに僕にもなぜ「闇の妹」シリーズに限って、切手を貼りたくなるのか、よくわかりません。

 でもあんまり尋ねられるので、ちょっと考えてみます。

 Oさんは特に切手を収集する趣味はないけれど、送られてきた郵便物にある切手はどうも捨てにくい、と言われていました。僕の母もたぶん同じような想いで若い頃から切手を集めていたようで、僕の絵の上の切手の多くは母のコレクションに依存しています。

 未使用のできるだけキレイなものをという純粋にコレクションとして切手を集めるというよりは、たとえ消印などで汚れていても捨てるには忍びない、という気持ちを切手には抱かせるなにかがあるようです。

 「人の想い」、でしょうか? そして「通信、記憶の気配」…。誰が誰になにを伝えたか、伝えようとしたか、その内実はそこにはなく、ただ切手が剥がされて残る。「人の想い」の上澄みのような。残像。幽霊。…。

 一方、未使用のままの古い切手にも惹かれます。それは、書かれたけれど出されなかった手紙、伝わらなかった思い、忘れ去られた約束、のようなものを僕に連想させます。閉ざされた未来。

 このように、いずれにせよ「切手」を巡る僕の思いは、くらい、ココロ、へと向かいます。

 以前、たぶん15年ほど前、「海の底に無数の切手が刺さってる」と、詩を書いたこともあります。それはハヤサスラヒメという根の国底の国で僕達の流した罪・穢れを最終的に引き受ける女神のことを書いた詩でした。そうか、「切手」は僕にとって、「罪」や「穢れ」の記号なのか、しら? ううむ…。そういえば、長屋和哉さんが「闇の妹」について「ハヤサスラヒメを連想させる」と書いてくれていたっけか。もう一度ぢっくり読んでみなくちゃ

 まあ、ともかく、僕が「闇の妹」の世界へ向かう時に、切手は、ひとつの手助けになることは事実です。一面ではそれはグラフィカルな効果の追求でもありますが、ただそれだけではないことも明らかです。

 もしも、これを読んでくださっている方の中に、不要の切手の数々が眠っている、という方がいらっしゃったら、ご連絡ください。今後もしばらくは、切手の助けを借りて、「闇の妹」のいる暗い森へ通うつもりでいますので。

 2003年5月11日、日曜、雨。長山現さんの劇団=楽市楽座の次回公演の僕が絵を描かせていただいたチラシ、上に貼ってもらいます。そこから公演情報へ飛べるようにします。興味ある方是非に。

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