Today's Terapika寺門孝之です。

Back Number 20030517

 

 2003年5月17日、土曜、ハレ。おかしいな、いつの間に1週間が過ぎちゃったのでしょう? 先日「切手」について書いてから、「闇の妹」のことをづっと考えていて、ココロの中ではツデイズに考えをどんどん書き進めていたハズなのですが…。

 たとえばこんなこと。

 会期中後半にいらしたギャラリー島田のお客さんの恰幅のいい野球帽冠った紳士に、「闇の妹はなんで金髪なんや?」と訊かれました。僕はいつものように「うーん、なんでだろう・・・?」と考えていると紳士は「なんでだろう〜なんでだろう〜」と歌い踊りながら、「アメリカさんのいうなりになってばかりで、自分のルーツを遡ろう思ても遡り切れへん今の日本人の象徴として描いとんのかと、わしは思ったで。」とさらさらと言われました。「なるほど、なるほどね〜、なるへそ!」と僕は応じながら、ココロの中でも「なるへそ! そうなの かもしれん」と思いました。

 なぜ闇の妹は金髪なのか? 僕には当然過ぎて考えもしなかったのです。「ただそこにヅラがあったから」としか僕には答えられません。

 ヤミイモ・モデルの前田昌代さんがその着物とそのヅラを持っていて、僕がデッサンをお願いしたときに試しにと身に着けてくれた刹那、僕の中にず〜ん!と「闇の妹」がその呼び名とともに降り立ったのです。暗い闇の森の中でびかびかっと、金属のように光る塊(カタマリ)として、うねうねとのたくる蛇玉のようなモノとして、闇の妹の髪は金髪でボリュームたっぷりに描かないとならないのです。

 でも、闇の妹のいる世界を僕は僕が生まれ育つこの国(それが日本とくくれるかどうかはまだ決められないけれど)の遠い過去へ思いを馳せながら描いており、またそれが広がっていく範囲をおおまかには「東アジア」の神話や伝説を養分としながら少しずつ闇の広がりをさぐっています、ので、その世界の中心にしゃがんでいる闇の妹の髪が「金髪」であるのは、確かに「違和」があり、そこにはもうひとつなにか強い動機が加えられているのは確かだと気付かされました。

 それが「アメリカ」なのかどうか、今はまだわかりませんが、闇の中でようく目を凝らし探ってみたいと思います。

 「アメリカ」といえば、評判のドキュメンタリー映画「Bowling for Columbine」を昨日観ることができました。

 最初のカットから完全に連れてかれ、途中何回も目からばりばりと鱗が剥がれ落ちていきました。いつかこれまでにこんな体験をしたような不思議な気持ちがしたのですがそれがナニだったのか思い出せません。「天使を見た」とか「宇宙人にUFOに乗せてもらって宇宙から地球を見た」とか、そんなことに近いような、ものすごく濃いナニカを思い出させてくれそうな感じがありました。

 そこで暴かれていくことは、本当にドデカク、かつ僕自身のこの今に直結していること。この世界でおきていることを、時系列、場所、をちょっと整理するとこんな恐ろしい事実が浮かび上がってくるものか、と恐れ入りました。

 僕達がメディアを通して知ることは、その、時系列、場所についての「実感」を抜かれてしまうために、この映画で明らかにされていくような「シンプルな事実」を見ることが出来ず、マイケル・ムーア監督がインタビューでインタビューイに突きつける「シンプルな質問」さえも思いつけなくなっているのがようくわかりました。

 時系列、場所、これこそがキイだと思いました。

 話は飛ぶのですが、「祭り」というのは、正しい時、に、正しい場所、で、正しい人、によってとりおこなわれるコトだと思います。いまはこれだけ情報が手に入るのになかなか正しい時も正しい場所もわからず、各種祭りも人の都合でどんどんぶれていきます。

 何、を基準にその正しさを見つけていけるか、この映画はそんなことのヒントのカタマリでもありました。未見の方、本当にお薦めします。神戸ではシネ・リーブルで夕方4時40分〜とその後の2回上映されてます。ぜひとも!

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