Today's Terapika寺門孝之です。

Back Number 20031018

 

 闇の中で僕は拝殿に向かい土下座をするような格好で跪いていた。真の闇ではなく、一本のろうそくが4m先で灯されていた。

 長屋さんが最初のゴングを打つ。僕は白いオイルスティックを目前の画面に押し付ける。見えない。予想をはるかに越えて何も見えなかった。しまった、無謀だった、闇の中で絵を描こうなんて。

 音は次々とやって来る。僕は覚悟を決めて、目蓋を閉じた。耳を澄まし、次の音に飛び乗ろうと決意。長屋さんが打ち鳴らす金属音は闇の中で、光りのように明滅する。その光跡をつたうように僕は腕を動かし、板面を這う。

 何か回路が繋がった。

 目を頼りに視覚のフィードバックを期待することを諦めると、「身体」が絵を描き始めた。手当たり次第にパステルやオイルスティックを掴んでは板面に止まることなく擦り付けた。身体は、螺旋、渦巻き、突起、波状、x、○、ぎざぎざ、ひだひだ、うねうね……そんな線を繰り出してくる。

 ある瞬間、僕の尻の向いた東の方から、串のようなものが僕を貫いて行くのを感じた。う? 僕はその何かに押されじりじりとろうそくの炎の方へ這い上がって行く。そしてまた東へ撤退。手は細かい曲線を刻みながら、僕自身はそんな風に前後にピストン運動を繰り返した。

 あっという間に2本目のろうそくも燃え尽き、地明かりが点けられ、僕は初めて自分が描いた(?)絵を目で見た。おお…僕と観客が同時に唸る。

 そこには、捩れ、捻れ、重なり合って、渦巻き、ひだひだのぎざいぎざの、なんとも生々しく、おぞましいような線たちが這い回っていた。蛇の群れのようで、魚の残骸のようで、引き抜かれた樹の根のようでもあった。

 休憩の10分の間、僕の視覚システムは必死で自分の絵を把握しようとしていた。高速回転でパルスが行き来するのが分かった。こうして、ああして、あそこをこうやれば、ああなって…今、この明かりの中でならなんとかこれを絵にすることができる。ああ、今描きたいなあ…思わずつぶやいてしまう。

 休憩が終わり、長屋さんも宮司さんも「少し明かりを点けておきましょうか」と言ってくれる。そうしよう、そうすれば大丈夫だ、と思いつつ、いや、やはり初心貫徹「消して下さい」。再び闇。

 しかし、慣れたのだろうか、僕には絵がありありと見え始めた。

 今度は幅の広い刷毛に墨汁をたっぷりとふくませ、線の上から太いストロークを重ねて行く。油性の線は墨を弾き、現れ出る。前半では見えなかった線が浮き立って見えて来る。同時に僕の内部で「闇」がいきいきと広がって行く。僕のココロが濡れて黒くなって行く。

 長屋さんの音はもうその頃には僕の絵そのものとなっていた。僕は音に反応しているのではなく、音そのものが絵となっていくような感覚に僕は落ち込み、心の奥からにやけてくる。

 長屋さんが再び「ヤンチン」(という弦楽器)を叩き鳴らし始めると突然「金」を使いたくなった。そしてたちまち金の音が画面に降りかかる。細い筆に持ち替え、金の絵の具で小さなスポットやx印を叩きつけて行く。長屋さんの音と音の隙間を細かく刻み込む要領で。僕の絵が今度は音楽になって行く。小さな×や○や雫の形を高速で音と音の間に挟み込んでいく。

 そして最後のろうそくの火が消えると、絵は大きく黒々と横たわっていた。明かりを点けると、「龍」がそこにあった。けれどこれまでに描いたような絵ではなかった。なにか、この場所に今打ち上げられたような唐突さがあった。さっきまで生きていたんだこれは、と思った。今も息は残っている、そんな何かだった。

 直会(ナオライ)でビールと食事を身体に入れた途端、信じられないような疲労が僕に落ちて来た。一口食べる毎に疲労は強まった。話すことも、座っていることも出来ないような気がした。今すぐ気絶したい気分だったがなんとか持ちこたえ、愉しく盛り上がる人たちから離れ、境内へ出た。

 見上げると円い空にやはりじゃらじゃらと星はばら撒かれていた。東にはオリオンが大きくかかって、それぞれの星が風に揺れていた。いくつもの流星が落ちた。拝殿背後の斜面の闇の中から鹿の鳴き声がカーン!カーン!と高く呼び交わしていた。

 いったいここはどこなのだろう!

 今は扉の閉じられた拝殿の床にあの濡れた生き物が横たわっていて、乾きつつあるのだ、と思いながら、ぼんやり立っていた。同行の助手のつだ君も境内に出てきて、持参の口琴をびょんびょん鳴らしていた。そこにも絵描きの魂が明滅しているのが見えた。

 星空を背景に、時折、風を受けた日の丸の国旗がばさり、ばさっと音を立てて妖しくはためいていた。社務所に戻り間もなく、布団に潜りこんで意識が飛んだ。

 ……翌朝6時、宮司さんが拝殿で打ち鳴らす大太鼓にぎょっとして目覚め、目を擦りながら境内へ出ると、朝日が山のエッヂから鋭い刀剣のように差し込んで来た。早く絵がどうなっているか見たかった。

 宮司さんの朝の儀式が終わって拝殿に上がると、墨の水分があらかた蒸発し生々しさが少し失せた「絵」がそのままそこにあった。それは僕が今までに描いたことのない絵だった。

 宮司さんの奥さんがやってきて盛んに絵を誉めてくださった。「見ているといろんな絵が見えてくる、けれど、最終的にはわたしには「龍」に見える。これはいつも寺門さんが描く絵とは違いますね、きっとこの場所のなにかと、長屋さんの音楽の力を借りて、寺門さんの「キモ」が出たんじゃないかしら? 寺門さんの中にあったいいことも、わるいことも、ぜーんぶ出ることができたんじゃない?」

 そうかもしれないと思った。

 2∞3年1●月18日、土曜、夜。丹生川上神社上社にて、長屋和哉さんの演奏に導かれ、僕は僕の「キモ」を噴出。晴れ。

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