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2009年12月18日

▼ 十四才の夢 ▼

大学。1年生の授業で「夢」をテーマとした作品の合評会。先々週、彼女は事前に「読んでおいてください」とプリントアウトを僕に渡していた。「十四才の夢」・・・それが彼女が14才のときに見た夢なのか、後に見た14才の彼女が登場する夢なのか、文面からは判然としない。
夢の中で彼女は小さな部屋の中で一人、天井まで届くような大きなキャンバスに向かい、脚立にまたがり、真新しい筆を手に、絵をまさに今描こうとしているその時、背後から男の声がする。彼女は「ちっ」と舌打ちして鋭い視線で振り返る。中年の長髪のさえない芸術家風の男が絵と心についてわかった風なことを言い「君は常に絵を描いているべきだと思うよ」と告げる。彼女はむしゃくしゃする。「みすかされているような、何もわかっていないような、とても正しいような、何もかも間違っているような」・・・むしゃくしゃした気持ちで彼女が再び舌打ちすると、壁が無くなり、キャンバスが無くなり、筆が無くなり、そして彼女が無くなる。男だけが残り、世界が無くなった・・・という。
彼女にとって14才は特別な歳だった、そうだ。学校へ通うのをやめ、その代わりに様様な人、モノ、事柄と出会い、聴き、見、読み、全てを吸収していく。絵を描きつづけてきた。、縁あってこの大学のこの学科へ入り、僕からこの課題が与えられた瞬間に、あの夢の絵を描く時が来たことがわかった、のだと言う。
合評会は教室で続いていたが、彼女の絵はその外に倒れていた。
「一人で立てられます」
身を切るように冷たく晴れた青空の下、彼女は絵を立てる。高さが4m、幅2mはあるだろうか。教室から背をすくめながら外へ出た僕たちに、彼女は告げる。
「これがその絵です」
僕たちは、彼女の夢のつづきに立ち会い、その夢に属していた。
十四才の夢を立てる

2009年09月09日

▼ 人間失格の神宮寺さん ▼

荒戸源次郎監督の角川映画「人間失格」の撮影現場ではキャストアンドスタッフのたくさんの方との出会いがそれぞれ濃厚なエピソードとして僕に刻印されたのですが、まあ映画公開まではぐっとこらえていようと思っています、が、出演者の一人、神宮寺太郎さんのブログのコメントを発見してしまい、これは皆さんにお披露目しちゃおうかな。
神宮寺さんは映画で石橋蓮司氏の息子役で、おもわず吹き出しちゃう存在感で演じてらっしゃいました。撮影最終日にはほとんど僕のデッサン・マネージャーとなってくれてその場にいる俳優さんたちを次々と紹介してくれて、おかげでM田GさんやO形Kさんや、I原Sさんやみなさんしっかりでっさんさせていただいてしまいました。神宮持さんは大阪で劇団ひこひこを主宰されている方です。次回公演は僕も観に行きたいです。
画像は撮影合間の汗だくの神宮持さんを描いたデッサン、くりそつですよ。

http://hiko2.livedoor.biz/
ちょっと下の方、9月5日のあたりに僕も出て来ます!
神宮寺太郎さんでっさん

2009年09月02日

▼ 日ヲ食ス ▼

僕が初めて沖縄へ来たのは、忘れもしない1987年の9月、23日の金環食を体験するのが目的でした。なにかのお店で煤着きの硝子板を借りて、国際通りの歩道から太陽が欠け行き、光の輪となって、また満ちて行く様を息を詰めて見上げていました。快晴でした。驚いたのは、歩道の地面に映る街路樹の木漏れ日のひとつひとつ総てが、食とともに欠けて三日月形と成り行き、道路全体が龍の身体のようになり、やがて光の輪模様となったことです。それはじりじりとまた鱗となり、通常の木漏れ日へと戻りましたが、その間、僕は「正しい時に正しい場所に」立っているという歓びに貫かれていました。その衝撃的な沖縄体験は旅の後、「日ヲ食す」「読書宮」「寄港」「ニライカナイへ」「月光のツイン」「珠」など一連の絵となり、僕の初めての画集『かごめドリーム ツル/カメ』の軸となりました。その画集を作ってくれたのが当時京都に住み、アート系の出版社の編集部に勤務されていた三枝克之さん、そうです、このカフェ・ユニゾンをされている三枝さんです。

金環食から22年。皆既日食の後の沖縄で展覧会を開催できることとなり、不思議な天地の計らい、人の縁の奥深さに感じ入る次第です。

あのとき金環食を見上げながら思ったのは、僕らは本当に太陽を食べて生きているんだな、ということでした。日食でなくたって、日日、僕たちは日を食して生きている、そんなイメージ。
あれからもずいぶんたくさん絵を描いてきました。沖縄の光の中で、僕の絵たちがどのように見えるのか、どのように在るのか、僕自身とてもたのしみな展示です。
どうぞごゆっくり、おたのしみいただければ幸いです。
感謝とともに 寺門孝之
あまうり天使の庭フライヤー裏
http://www.cafe-unizon.jp

2009年03月03日

▼ 3月3日のこと・・・ ▼

僕にとって人生でいちばん愉しいことは何か? それは「おたのしみ会」ではないかと思う。もっと正確に言うならば、「おたのしみ会の準備」が愉しいベスト。小学生の頃、おたのしみ会が好きだった。机を片隅へ押しやるか、廊下へ出してしまって、なじみのありふれた教室になにか愉しげな気配が降りて来る。日常から非=日常へ、あっけなくもダイナミックな転換。コントや歌や、ダンスや手品や、ゲーム・・・そして人形劇、楽器演奏などなどなど・・・。
まだ小学校1年生だった頃だと思うが、一度だけ、自宅で盛大なおたのしみ会を催したことがあった。3月3日のひなまつり会・・・。言うまでも無く僕は男で、家ではひなまつりを祝ってもらったことはなく、ひな人形もなかった。端午の節句の祝いに小さな兜のツクリモノがあったが、全くそそられなかった。何段もある赤いひな壇にずらりと勢揃いする雛人形が欲しかった。憧れてならなかった。それで僕は、ひなまつり会を企画し、丘の上にすむ仲良しの女の子と毎日放課後に家でひな人形作りに励みだしたのだった。色紙や画用紙、段ボールなどを切ったり折ったり貼ったりしてかなり大掛かりに。それを床の間に飾ってもらって、3月3日当日には、どうしてそんなことになったのか記憶がないのだが、何十人というクラス内外の子供達(自分も子供だったのだが)が家に集結して、床の間の前で出し物を繰り広げた合った。僕はゴーフルの缶をたたいてドラマーになり、友達とブルーコメッツのまねをしたと思う。そんな会をしたのはそれっきりなかったが、後年、展覧会の折などにあまり展覧会自体とは関係ないような出し物を企画しようとする根っこは、この3月3日のひなまつり会ではないかと思う。
日常の中で、虎視眈々と非=日常の準備をして、当日「おたのしみ会神」を降ろし、迎える・・・そんなことがベストに愉しい、今でも僕は。

ひさしぶりのおたのしみ会を 3月15日15時から開催します。場所は青山ブックセンター本店内、カルチャーサロン。どうぞ御参集ください!
http://www.aoyamabc.co.jp/10/10_200903/2009315.html
おたのしみ会ポスター